エイサーとは?
エイサーの起こり
今や沖縄の夏の風物詩であるエイサーは、旧暦7月の盆に先祖供養のために各地で青年会によって演じられる芸能で、本土の盆踊りに相当するものである。
エイサーの語源として、沖縄の学の父といわれる伊波普猷は「おもろさうし」の中の「ゑさおもろ」から派生したものと唱えているが、最近の研究結果はこれを採らずに「エイサー エイサー ヒヤルガエイサー」というハヤシ祝詞からエイサーと呼ばれるようになったとの説が一般的である。
また、エイサーは「浄土宗」を源流とし「チョンダラー」がその発展、普及に関わってきたという説が有力である。すなわち、17世紀初頭に琉球に逗留した「袋中上人」が浄土宗の踊り念仏を沖縄に伝え、いつしかその念仏歌を首里郊外の安仁屋村(アンニャムラ)の流浪芸人集団であるチョンダラー(京太郎)達が習得して、年忌供養で請われた時や盆の時期に家々を廻りながら歌い歩くようになり、そして、地方ではこの念仏歌を村の青年達がチョンダラーから習い覚え、盆の時期に祖先を供養するためにムラ内の家々を巡るようになり、それがエイサーとして現在まで残されてきたといわれている。
今でもエイサー音曲の中核をなすのは「継親念仏」や「仲順流れ」などの念仏系歌であることはそれを裏付けるもので、それに毛遊び(モーアシビ)歌の「ダンク節」や「一合小」「唐船どーい」等の遊び歌に戦後民謡が加味された音曲が現在のエイサーでは普通に唄われている。
戦後は青年ふるさとエイサー祭り(以前は青年エイサー大会と称す)やコザ市(現沖縄市)が主催するエイサーがコンクール形式でエイサーを開催した結果、群舞としての華やかな見せるエイサーに変貌している。